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ヴーヴ・クリコ・ポンサルダンはシャンパンの発展に貢献した女傑

2012年12月14日

ヴーヴ・クリコの肖像

ヴーヴ・クリコは1775年に初めて海外へロゼシャンパンを出荷した歴史ある大手メゾン。この当時、社名はまだヴーヴ・クリコではありません。設立当時は単に「クリコ」だったのです。

設立は1772年、銀行家のフィリップ・クリコによってなされます。ポンサルダン家の令嬢ニコルが、二代目フランソワ・クリコに嫁いだ1798年のこと。しかし、結婚してからわずか4年で夫が世を去ります。

残されたマダム・クリコは未亡人となりながらも、夫の意志を継ぎ、シャンパンの事業に自分の人生を捧げるのです。そして1810年、社名をヴーヴ・クリコに変更。

折しも、世の中はフランス革命の嵐が吹き荒れる最中。シャンパンはパリの王侯貴族が主な顧客であったため、シャンパンを売ることがどれだけ大変であったかは、想像に難くありません。

60倍に増えた生産量

ヴーヴ・クリコがメゾンを取り仕切り始めたの当初、ヴーヴ・クリコ社の生産量は5万本足らずでした。たったの5万本です。しかし、ヴーヴ・クリコが亡くなる頃には、なんと300万本にまで増えていました。

彼女はどうやってそこまで生産量を増やしたのか?

先ずは販路の拡大です。斜陽の王侯貴族だけをを相手にしていてもシャンパンは売れません。ヴーヴ・クリコは海外に販路を広げ、遠くはロシアにまでシャンパンを販売しました。

この辺りのビジネスセンスは抜群だったようです。

品質の安定化によって格段に増えたヴーヴ・クリコの販売量

ルミアージュ次に、ヴーヴ・クリコが重要視したのが品質の安定化です。当時シャンパンは「悪魔の酒」と呼ばれるほど取り扱い業者に嫌厭されていました。

というのも瓶内圧力が強く、すぐシャンパンボトルが割れたり、瓶内発酵に失敗して開けたら、スティルワインであったり、とてもムラのあるワインだったのです。

ヴーヴ・クリコの最大の功績はルミアージュの発明です。ルミアージュ(動瓶)は瓶口に澱を集めて、瓶口だけを凍らせて、澱を取り除く技術です。

それまで澱で濁っていたシャンパンを、ヴーヴ・クリコは透明にしたのです。これは今日、我々が飲むシャンパンと同じ姿。200年も前に、ヴーヴ・クリコはそれを商品化したのです。

ラ・グランダムとなったヴーヴ・クリコ

ラ・グランダムヴーヴ・クリコが残した功績は、同社に限らずシャンパーニュ全体において計り知れないほどのものです。ヴーヴ・クリコ社ではそれに敬意を表して、最高級キュヴェにラ・グランダム(偉大なる女性)と名付け、今でもヴーヴ・クリコは世界で愛されているのです。

左の写真がラ・グランダムで、通常キュヴェとロゼもあり、グラン・クリュだけのブドウで作られる、同社の最高級キュヴェ。

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